論理的に正しくある程度リテラシーのある人なら誤解の余地のない文章が理解できないのは読者が悪いのか

はてなブックマークは図書館の本にハナクソをつけることと同じという記事を読みました。

誤読に基づいたブコメの批判が迷惑だ、という内容です。特にその批判を行うことによって優越感を得るような行為を批判しています。

気持ちはわかります。俺も前の記事のでいくらなんでもないだろうというブコメを受け取りました。

ですが元記事のような考え方は俺はあまりよくないと思います。
元記事の人は「筆者が主張したいことは何か考えろって言われただろ?まずは高校レベルの読解力を身につけることから始めろ。」と言っています。この話の前提は自分の文章には全く問題がなく、誤読の原因は完全に読者側にあるということです。

確かに元記事の文章は口は悪いですが筋は十分に通ってますので、論理的に正しい文章を書ける人なのでしょう。これほどの論理的に正しく誤解の余地のなさそうな文章を書いて誤解されたなら、文句を言いたくなるという気持ちもわかります。

ですが、本当に誤読の原因は読者側にあると言っていいのでしょうか? つまり、論理的に正しくある程度リテラシーのある人なら誤解の余地のない文章に誤解が生じるのは必ず読者に原因があると言っていいのでしょうか?

俺はそんなことはないと思います。一般的な電化製品などの説明書を考えてみましょう。そこに書かれている文章は上で言ったような誤解の余地のない文章でしょうが、私の周りにはこれを理解できない人が結構います。みなさんの周りにもいることでしょう。

ですが、説明書が理解できないことを必ずしも読者の読解力が原因だとは言えません。なぜかと言えば、世の中には普通の説明書が理解できないような人間にも理解できるように作られた説明書が存在するからです。例えば右の説明書は株式会社サイズ | PC自作・冷却機器の専門メーカー。ハイコストパフォーマンスなCPUクーラーやケースファンをラインナップ。有名海外冷却ブランドの輸入販売代理も行っております。から拾ってきたパソコンの部品のものですが、イラスト中心の説明になっており、文章中心の説明書が理解できない人にでもわかりやすいようになってます。これは「論理的に正しくある程度リテラシーのある人なら誤解の余地のない文章」では満足せず、読者に歩み寄ってわかりやすさを追求した例といえるでしょう

つまり、「論理的に正しくある程度リテラシーのある人なら誤解の余地のない文章」というのは最高の文章ではないのです。企業が製品の説明書でやっているように、我々はさらに文章や伝え方を改善して、読解力のない人にも理解できるように努力することができます。

にも関わらず元記事のように誤解の原因を全て読者に帰してしまうことは、読解力のない人へと伝える努力を放棄してしまうことになります。

元記事の人ももう少し読者に歩み寄って伝え方を改善すれば、不快な思いをすることも減るかもしれません。